ソ連軍タンクデサントとして戦った人の回想 [軍事]
速水螺旋人センセのTwitterで知ったセミョーン・ヴァシーリエヴィチ・アルブルは、第二次大戦でのソ連軍タンクデサント(戦車跨乗兵)として戦った人へのインタビュー記事です。
タンクデサントといえば、ソ連戦車の上に生身で乗って敵砲火の中を一緒に突撃する兵士たちのことで、独ソ戦でのソ連軍イメージとしては一番で、その高い死傷率も有名です。
ただ、この人の場合、タンクデサント以外の人生も波乱万丈過ぎです。
簡単に並べると、
・子供の頃、ウクライナ大飢饉を生き残る
・独ソ戦開始後故郷は即座に占領され、過酷なドイツとルーマニアの占領地統治を経験
・ルーマニア兵にユダヤ人と誤認されて、殺されかける
・ドイツに労働者として強制移送される最中に脱走。厳しい逃亡生活の末にウクライナを徒歩で縦断してチェルカッシィ州に隠れ住む
・脱走先をソ連軍が解放した後、そのままソ連兵として志願。第3親衛戦車軍第9機械化軍団第70機械化旅団の第4戦車大隊の戦車跨乗兵として一年半戦う
・1945年3月初めに戦車の操縦手に。所属は変わらず
・1945年4月9日に負傷で右足を失って傷痍軍人に。終戦は病院で迎える
ちなみにこの人は1926年2月15日生まれなので、独ソ戦終結時にはまだ19歳。
成人にすらなっていないのに、ここまでの人生を送っているとは。
ざっと経歴書いただけでも凄惨ですが、文章では更に色々と切ないことが書かれてます。
しかし、戦車跨乗兵の実態の質問に対する答えが
―戦車跨乗兵は、通常の歩兵以上に危険な任務だと言われていますね。
全くその通りですよ。戦車跨乗兵とはどんなものだかご存知ですか?戦車に5人か6人の兵士を乗せて、前進するわけです…敵の強力な抵抗に遭うと、戦車から飛び降りました…もしも戦車が高速で突っ走るようなら、私たちもこれに続いて走っていきます…戦いがあるごとに、5人中2人は必ず戦死しました。それでもまだ運がいい方なのですよ!…私たちはこのことをよくわきまえていましたし、戦争で生き残るなどとは夢にも思いませんでした。一言で表現するなら決死隊ですね…チャンスはありません…
のは何と言ったらいいか。
しかし一回の攻撃で5人のうち2人が必ず死ぬ状況で、一年半生き残ってきたこの人は何者ですか?
戦車操縦手の頃についての質問で、
―ドイツ兵を蹂躙したことは?
私はありません。跨乗兵として戦車に乗っていた時には何度も見ましたが、自分ではそういう経験はないですね。
という回答にも、戦車跨乗兵としてこの人はどれだけの地獄を見てきたのだろう?と感じてしまったり。
この人が戦後に同じ部隊の戦友を探しても全く見つからず「大戦最後の一ヶ月で全員戦死したのでは?」と推測するあたりも、独ソ戦最後のベルリン戦がソ連軍にとってもいかに凄まじい戦いだったのやら。
「戦勝までの最後の1か月は、最も厳しく血なまぐさい戦いの連続でしたから」とまで回想してますし。
同士討ちとかありましたか?という質問で、
「戦場で誰を相手に戦っているかなんて判らない」
という趣旨の回答していて、ソ連軍タンクデサントは本当に混乱の中で近接戦闘を戦っていたというのも判ります。
月並みな言葉ですが人間の想像力を超える戦記でもありますので、一読をお薦め。
タンクデサントといえば、ソ連戦車の上に生身で乗って敵砲火の中を一緒に突撃する兵士たちのことで、独ソ戦でのソ連軍イメージとしては一番で、その高い死傷率も有名です。
ただ、この人の場合、タンクデサント以外の人生も波乱万丈過ぎです。
簡単に並べると、
・子供の頃、ウクライナ大飢饉を生き残る
・独ソ戦開始後故郷は即座に占領され、過酷なドイツとルーマニアの占領地統治を経験
・ルーマニア兵にユダヤ人と誤認されて、殺されかける
・ドイツに労働者として強制移送される最中に脱走。厳しい逃亡生活の末にウクライナを徒歩で縦断してチェルカッシィ州に隠れ住む
・脱走先をソ連軍が解放した後、そのままソ連兵として志願。第3親衛戦車軍第9機械化軍団第70機械化旅団の第4戦車大隊の戦車跨乗兵として一年半戦う
・1945年3月初めに戦車の操縦手に。所属は変わらず
・1945年4月9日に負傷で右足を失って傷痍軍人に。終戦は病院で迎える
ちなみにこの人は1926年2月15日生まれなので、独ソ戦終結時にはまだ19歳。
成人にすらなっていないのに、ここまでの人生を送っているとは。
ざっと経歴書いただけでも凄惨ですが、文章では更に色々と切ないことが書かれてます。
しかし、戦車跨乗兵の実態の質問に対する答えが
―戦車跨乗兵は、通常の歩兵以上に危険な任務だと言われていますね。
全くその通りですよ。戦車跨乗兵とはどんなものだかご存知ですか?戦車に5人か6人の兵士を乗せて、前進するわけです…敵の強力な抵抗に遭うと、戦車から飛び降りました…もしも戦車が高速で突っ走るようなら、私たちもこれに続いて走っていきます…戦いがあるごとに、5人中2人は必ず戦死しました。それでもまだ運がいい方なのですよ!…私たちはこのことをよくわきまえていましたし、戦争で生き残るなどとは夢にも思いませんでした。一言で表現するなら決死隊ですね…チャンスはありません…
のは何と言ったらいいか。
しかし一回の攻撃で5人のうち2人が必ず死ぬ状況で、一年半生き残ってきたこの人は何者ですか?
戦車操縦手の頃についての質問で、
―ドイツ兵を蹂躙したことは?
私はありません。跨乗兵として戦車に乗っていた時には何度も見ましたが、自分ではそういう経験はないですね。
という回答にも、戦車跨乗兵としてこの人はどれだけの地獄を見てきたのだろう?と感じてしまったり。
この人が戦後に同じ部隊の戦友を探しても全く見つからず「大戦最後の一ヶ月で全員戦死したのでは?」と推測するあたりも、独ソ戦最後のベルリン戦がソ連軍にとってもいかに凄まじい戦いだったのやら。
「戦勝までの最後の1か月は、最も厳しく血なまぐさい戦いの連続でしたから」とまで回想してますし。
同士討ちとかありましたか?という質問で、
「戦場で誰を相手に戦っているかなんて判らない」
という趣旨の回答していて、ソ連軍タンクデサントは本当に混乱の中で近接戦闘を戦っていたというのも判ります。
月並みな言葉ですが人間の想像力を超える戦記でもありますので、一読をお薦め。
2011-04-13 23:48
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