EU3のモスクワ [EU3]
第1回はモスクワ大公国(http://www.4gamer.net/games/040/G004028/20080218028/)
私も、このモスクワ大公国を何回もプレイして序盤で破滅に追い込まれたことが何回もあるので判りますが、序盤でのカザン(プラスその同盟国)の侵略が激しくて参ります。
西南のリトアニアに戦争しかけようにも、この国はポーランドとの同君連合なので、敵に回したら自動的に当時強国のポーランドも敵に回すことになりますし、こちらが戦争中を狙ってカザンが攻め込んでくることが多いので悲惨です。
かと言ってリトアニアと同盟組んだら、カザンが反対に食い物にされて東方進出が難しくなります。
結局、史実通り北方のノヴゴロドを速攻で滅ぼすのが最善の選択肢でしょうか。
長引くとカザンが攻め込んで来ること多いので、時期は良く選ぶ必要ありますが。
ただ、やっていて非常に面白い国ではありましたね>モスクワ大公国
以前のアイルランドプレイよりも国自体の人口が多いので、軍隊や財政も楽でしたし。
EU3モスクワプレイ [EU3]
少し前からEU3をモスクワ大公国でプレイしているのですが、何回も周囲の全ての国と戦争状態に陥って、プレイを投げ出してます。
周りに強国が多すぎるのですよ。
このゲームの開始時である1453年はリトアニア、ノヴゴロド、キプチャク・ハン国、クリミア・ハン国、カザン・ハン国などのモスクワ周辺の国家がかなり強力ですし。
正直、この時点では比較的弱小なモスクワ大公国が後に世界を二分する大帝国に成長するなんて誰も予測できないでしょう。
EU3はEU2と違って、史実イベントを徹底的に排除しているので開始時に大きい国は大きいまま生き残る可能性が高いように感じます。
今は何とか100年ほど生き残ったところですが、ロシアの大部分をリトアニアが占領していて、モスクワはその同盟国として元のモスクワ周辺の領土+バルト海沿岸、フィンランド、スウェーデンの半分を領土としてたりしますw
しかし、モスクワがロシアに変身するには開始時からリトアニアの領土であるスモレンスクとかを奪わなくてはならないので、いつかは敵に回さなくてはなりません。
さて、いつ戦争を仕掛けるべきか。
あと、前プレイしていたアイルランドが島国だったというのはもの凄く大きな利点だと非常によく判ったり。
EU3アイルランドでプレイその16 ミレーダク4世の御代「夢は南米を駆け巡る」 [EU3]
EU3アイルランドでプレイその15 ムカジ3世の御代「臥薪嘗胆」の続きです。
1637年9月
新国王としてミレーダク4世即位
能力 行政8 軍事7 外交4
1638年6月
インカとの国境紛争で、こちらが国威を下げる代わりに引いた。
1638年7月
ペルナンブコがアイルランド王国の中核州に昇格。
1639年2月
ディアマンティーナがアイルランド王国の中核州に昇格。
この頃ボヘミア&デンマーク&フィンラン VS カスティーリャ&イギリス&ポルトガルの間で戦争があり、南米のデンマーク植民地の大部分をイギリス軍が制圧している。
こちらの南米植民地もイギリスに囲まれる状態になってしまって大ピンチ。
1642年6月
南米アタカマに兵器工場を建設開始。
値段は1468ダカット(インフレが激しいため高い)で期間は60ヶ月。
このためにここしばらく貯金をしてきた。
1644年5月
一部の貴族がイギリスに通じているらしい。
売国奴どもめ。
しかし、戦力的に今は戦争が出来ない時期なので、彼らに処罰をせず国威を2下げて忍ぶことに。
この頃デンマークやイギリスが争った戦争終結。
しかし、ミナスジェイラスを挟むようにして、北のゴイアスにイギリス軍騎兵、歩兵、砲兵1個連隊づつ。更に南のリオデネジャイロに騎兵2個連隊と歩兵1個連隊が駐留するという状況に。
ここで戦争になったら一瞬で終わりなので、南米地域の防備を固めることにした。
1645年9月
レンスターが属国化してから10年経ったので、併合要請をしたところすげなく断られた。
まだ反動勢力が根強いらしい。
色々と裏工作の後、もう一度挑戦してみる。
1647年6月
ミナスジェライス方面が色々と危険なので、イギリスと宣戦布告。
ゴイアスがまだ移民1000人以下で植民地である今しか戦争をするチャンスは無い。
イギリス移民が来て州に昇格してしまったらアイルランド南米植民地の最後だ。
戦争目的は、とにかく
「ゴイアスからイギリスを追い出す」
まだゴイアスは植民地段階のため、一回イギリス軍を追い出して占領するなり破壊するなりしてしまうこと。
これさえ達成できれば、あとはこちらから賠償金を払おうが多少領土を割譲しようが構わない。
他に
・第2目標「ミースを奪回して再びアイルランド統一」
・第3目標「先の戦争でイングランドに奪われたリオデネジャイロの奪回」
があるが、これは現実的な目標ではない。。
戦線布告と共に同盟国リトアニア、属国のレンスターが一緒に参戦してくれた。
イギリス側には同盟国カスティーリャとポルトガルが参戦。
宣戦布告と同時に以下のとおり部隊を侵攻させた
アイルランド本土戦線
・ミースにラテン騎兵2個連隊とマウリッツ歩兵1個連隊で編成された第3軍が侵攻
南米戦線
・ゴイアスにラテン騎兵1個連隊とラテン・カラコル騎兵3個連隊(国王ミレーダク3世直卒)の第2軍が侵攻
・サントアマロにラテン騎兵2個連隊の第4軍が侵攻
開戦当初の経過
ミース方面は駐留軍がいなかったため、すぐさま攻城戦に。
ゴイアス方面は敵のイギリス軍騎兵、歩兵、砲兵1個連隊づつのイギリス第14軍と交戦し、これを敗走させた。
即座にゴイアス植民地を占領しアイルランド領に組み込む。
これで戦争の第1目的は達成された。
サントアマロ方面は定数2分の1程度に落ち込んでいたイギリス第20軍(歩兵2個連隊)が相手だったが、何と定数装備の2個騎兵連隊のアイルランド軍が撃退され、ミナスジェライスへの反撃を食らってしまう。
ミナスジェイラスに逆侵攻したイギリス第20軍は、ゴイアス方面から敗走してきたイギリス第14軍と合流して、騎兵1個連隊、歩兵3個連隊、砲兵1個連隊の戦力となり、ミナスジェライスの攻城戦を始めた。
これを撃退すべく、敗走してきた第4軍の戦力を合わせてラテン騎兵3個連隊、ラテン・カラコル騎兵3個連隊の兵力となった国王ミレーダク4世直卒の第2軍が占領地のゴイアスからミナスジェライスへの救援攻撃を行った。
イギリス軍が騎兵1個連隊、歩兵3個連隊、砲兵1個連隊で、アイルランド軍が騎兵6個連隊のこの激戦は、アイルランド軍の士気崩壊による敗走により、イギリス軍の勝利となった。
しかし人的損害はアイルランド軍約700名、イギリス軍約2600名となり、勝者であるイギリス軍の損害がアイルランド軍の3倍に及び、戦闘前に約4000名の戦力だったイギリス軍は3分の1に兵力が激減した。
ゴイアスに敗走したアイルランド第2軍は一ヶ月戦力回復に努め、定数6000人のうちの約5000人まで戦力回復したところで、再び攻城戦中のミナスジェライスに攻撃をしかける。
攻城戦で伝染病が蔓延し、戦力回復すら出来なかったイギリス軍は今度こそ完膚無きまでに破られ、南のイギリス軍支配地域に撤退も出来ず、ミナスジェライスで殲滅された。
これで南米のイギリス軍陸上戦力は全滅。
更にペルナンブコとディアマンティーナで編成された2個歩兵連隊でリオデネジャイロとサントアマロに攻城戦を仕掛けた。
防御施設の無いサントアマロはアイルランド軍の侵入と共に一瞬で陥落したが、防御施設の整ったリオデネジャイロでは攻城戦に入った。
リオデネジャイロの防御施設はアイルランド領だった時にアイルランドが整備したものであり、皮肉なものである。
1647年10月
この頃、南米南部(アルゼンチンのあたり)の植民地を反乱軍(クラレンス第1歩兵隊)が占領して回っており、アイルランド植民地のバンダ・ラプラタも占拠された。
占領されている植民地は他にイギリス領、デンマーク領などがあるが、どこも対応戦力を出せないらしい。
1647年12月
攻城戦を続けていたミースがアイルランド軍の手に落ちた。
1648年2月
南米のアイルランド植民地セラノスが反乱軍によって占拠された。
対処の仕様もない。
この頃、ケープやニュージーランドから各地の他国植民地を占領すべく、輸送船に乗って戦略機動を行おうとするが、哨戒していたポルトガル海軍やカスティーリャ海軍に途中で追い払われる。
やはり海軍国は強い。
1648年3月
リオデネジャイロ陥落。
1648年7月
ミースでイギリス軍の反撃あり。
一撃で撃破する。
1649年6月
レンスターにイギリス軍(歩兵1個連隊)が侵攻してきたが、レンスター軍(歩兵3個連隊)が独力で撃破。
1649年末
イギリス植民地となっていたグアイラとムバラカジュを占拠。
1650年初め
この頃、原因は不明だが周りのデンマーク植民地が次々とイギリス植民地に鞍替え。
イギリス領になったそれらの州を堂々とアイルランド軍が占拠していく。
1650年7月
ポルトガル軍がアイルランド島コノートに上陸。
こちらが反撃する前に、レンスターの国王直属の軍勢が即座に援軍に向かってポルトガル軍を海に叩き落としてくれた。
この頃から南米にイギリス軍が数個連隊単位で出現し対応に追われる。
植民地を取ったり取られたりの状況である。
1650年10月
南米パラナがデンマーク植民地(反乱軍支配下)から、こちらに離反。
1650年10月
カスティーリャ軍がレンスターに上陸してきたがレンスター軍が撃退。
1651年2月
色々とあったが、南米を荒らし回っていた反乱軍の殲滅に成功。
1651年3月
カスティーリャ軍がまたレンスターに攻め込んできたが、レンスター軍が撃退。
1651年5月
今度はポルトガル軍がレンスターに攻め込んできたが、またもやレンスター軍の活躍で撃退。
1652年
南米植民地で次々海上から投入されるカスティーリャ軍と激戦。
忙しくて詳しくは覚えていないがカスティーリャ軍11個連隊、イギリス軍4個連隊ほどは殲滅した筈。
3個連隊ほどで逐次南米戦線に投入されてくる敵軍を、こちらの国王ミレーダク4世率いる騎兵5個連隊を機動させて各個撃破し続けるという展開だった。
1653年1月
ポルトガル軍がレンスターに攻め込んできたが、またレンスター王国軍が撃退。
南米戦線でかかりっきりになっていたので、こちらが気がつかないうちに他にも撃退しているかもしれない。
1653年3月
敵同盟の盟主カスティーリャから示された「痛み分け」を受けて、戦争を終結させることに。
しかし敵の南米植民地を10個占領することが出来たので悪い取引では無い。
実はこの勝利で支配プロヴィンスだけなら敵国イギリスと並んでしまった。
本国の経済力と人口が違いすぎるので、まだイギリスの方が圧倒的に強いが。
元々はアイルランドがディアマンティーナの安全を確保するだけのために開始された戦争が、南米全域を巻き込む大戦争に発展してしまった。
この戦争でカスティーリャ及びイギリスは既に州になっているのを除く、全ての南米植民地をアイルランド軍に占領された。
またこの戦争ではアイルランド国王ミレーダク4世が南米全域を股にかけて大活躍したのみならず、アイルランドの属国であるレンスター国王クリオムサン1世が3個連隊を率いて、アイルランドに上陸してくる敵軍を撃退し続けた。
これほどの大活躍をしてくれるのであれば、レンスターの併合は取りやめにしようと思う。
とりあえずしばらくは借金返済だ。
1653年11月
南米南端のパタゴニア・オキシデンタルで反乱が起こり、近辺のカスティーリャ及びアイルランドの植民地を荒らしている。
国王ミレーダク4世率いるラテン・カラコル騎兵3個連隊が迎撃したが、反乱軍のピメンテル第1歩兵隊(歩兵1個連隊)に撃退された。
こちらは再編成して再び迎撃することに。
1654年2月
南米南端のパタゴニア・オキシデンタルで国王率いる軍勢が反乱軍を撃破。
しかし、ヨーロッパの国王なのに、こんな南米の橋の最果てを反乱鎮圧で駆け巡っているとは。
1655年10月
南米リオデラプラタでデーン人の反乱が起こり、鎮圧を選んだがメッセージの2個連隊は登場しなかった。
きっと内部崩壊したのだろう。
前回の戦争で数多くの植民地を手に入れたが、元々はデンマークの植民地だったところが多く、そこは文化がデーン系でアイルランド系とは違う文化である。
1656年1月
国王ミレーダク4世が南米ラプラタの地で崩御。
南米の地を軍隊を率いて駆け巡り、数え切れない勝利を収めた王であった。
次はEU3アイルランドでプレイその17 タールー4世の御代「英雄が生まれた日」
EU3アイルランドでプレイその15 ムカジ3世の御代「臥薪嘗胆」 [EU3]
EU3アイルランドでプレイその14 フェイドリミッチ3世の御代「手加減は出来ぬ」の続きです。
1615年10月
新国王としてムカジ3世即位
能力 行政6 軍事5 外交4
1617年9月
ミナスジェライスがアイルランド王国の中核州に昇格。
先の戦争で一時はイギリスの占領下に入ったこの州は金が産出することもあり、国王ムカジ2世がこの地での防衛戦で戦死したほどの重要拠点である。
これで名実共にアイルランドの中核となった。
1618年10月
ディアマンティーナの移民が1000人を突破し、州に昇格。
この州は金が取れるのみならず、先に中核州に昇格したミナスジェライスに隣接している重要拠点である。
1620年4月
政治体制を封建君主制から管理君主制に変更。
国は混乱に陥っており、安定度が2下がった。
この頃からレンスターに外交攻勢開始したが、全く効果なし。
1624年8月
ペルナンブコの移民が1000人を突破し、州に昇格。
1630年7月
特権を求める貴族の訴えがあり、国王はそれを認めて貴族中心政治が高まった。
管理君主制への反動とも言える。
1630年12月
インド洋での中継拠点としてブルボン(モーリシャスの隣)に植民成功
この時点で一番税を多く納めている州はオーストラリアのワイワルング。
商業の中心地であることも非常に大きく、ワイワルングがアイルランド王国の財政を支えているといえる。
この頃いつの間にかフィンランドが誕生してて驚き。
あとこの時点で日本VS明&朝鮮「朝鮮による第14次侵略戦争」って、何をやっているんだか。
1635年5月
レンスターがアイルランドと同盟を受諾。
このままうまくいけば属国にしてから平和的に併合が可能かもしれない。
1635年8月
レンスターが我がアイルランド王国の属国となることを承知した。
やはり、我がアイルランド島は一つにならなくてはいけないのだ!!
次は平和的な併合まであと少し。
平和的に併合するためには10年以上属国関係が続かなくてはならない。
もう少しだ。
1635年9月
レンスターから通商協定申し出あり。
その程度のことはどんどん認めてやらねばならない。
1637年9月
ムカジ3世崩御
新国王としてミレーダク4世即位
能力 行政8 軍事7 外交4
外交が低いのが不安だ。
レンスターの併合処理等を、この国王できちんとこなせるのであろうか。
しかし行政と軍事能力が高かったことは大いなる助けとなった。
次はEU3アイルランドでプレイその16 ミレーダク4世の御代「夢は南米を駆け巡る」 にて。
EU3アイルランドでプレイその14 フェイドリミッチ3世の御代「手加減は出来ぬ」 [EU3]
EU3アイルランドでプレイその13 タールー3世の御代「悔しい喃、悔しい喃」の続きです。
1613年12月
新国王としてフェイドリミッチ3世即位
能力 行政8 軍事5 外交4
1614年
ミナスジェイナスへの海からへの連絡路を造るために、ペルナンブコとディアマンティーナに植民を行った。
形はかなり不自然だが、南のイギリス領及びブルゴーニュ領に干渉しないようにした。
その際ディアマンティーナの原住民が反乱を起こしたので、アイルランド本国から輸送されてきたばかりの騎兵1個連隊で報復に殲滅した。
こちらもアイルランド本国の5分の2を奪われている身、手加減は出来ない。
この情景に、
「弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者を叩く~」
という歌を思い出してしまう。
1615年10月
ファイドリミッチ3世崩御
1年足らずの短い治世であった。
次はEU3アイルランドでプレイその15 ムカジ3世の御代「臥薪嘗胆」にて。
EU3アイルランドでプレイその13 タールー3世の御代「悔しい喃、悔しい喃」 [EU3]
EU3アイルランドでプレイその12 ムカジ2世の御代「蹂躙」 の続きです。
先の国王ムカジ2世は南米戦線で戦死した。
後を継いだタールー3世(行政4、外交3、軍事5)はアイルランド本土防衛戦で侵攻してきたイギリス軍&ポルトガル軍との戦いで、彼らを海に叩き落とし続けている。
1605年10月
敵国ポルトガルがレンスターの独立及び215ダカットの支払いで講話を強要してきた。
仕方がないので受けざるを得ない。
これによりアイルランド王国の財政は破産し、借金財政になった。
1606年1月
南大西洋のフォークランドがイギリスによって占拠される。
1606年5月
イギリスが南米リオデネジャイロ州及びミース州を割譲で和平内容を出して来た。
仕方がないのでこれを受けざるを得ない。
悔しい喃、悔しい喃。
結局、この戦争でアイルランド王国が失ったのは下記の通り。
州(戦争で占領は出来るが、正式な割譲は和平条約締結が必要)
アイルランド島
レンスター:ポルトガルの後押しでレンスター王国として独立。
ミース:イギリスに割譲
南米
リオデネジャイロ:イギリスに割譲
植民地(移民1000人以下で軍隊が占領すれば無条件でその国のものになる)
大西洋上
バミューダ、セントヘレナ:ポルトガルが占拠
フォークランド:イギリスが占拠
戦争後のアイルランド島
1610年9月
ようやく借金返済完了。
これから王国の本格的立て直しに入る。
先の戦争で22あった領土も16に減ってしまった。
アイルランド王国の将来戦略は、
・悲願はアイルランド本島のレンスターとミースの奪還
だがそれは難しいので、とりあえずは海から孤立した南米ミナスジェライスの近辺に植民して、海への出口を作る。
・陸軍レベルのレベルアップ
・安定度が高くなったら、管理君主制への変更も。
あと、この頃の南米移民はアイルランド王国から失われたレンスター及びミースからの難民が、かなりの部分を占めているという脳内設定補完している。
1611年6月
ポルトガルの手先な傀儡政権(アイルランド側からの見方)として火事場泥棒的に独立してのけたレンスターから婚姻の申込みが来る。
本来なら認めたくはないところであるが、将来レンスターに王位を要求できる可能性もあると思い、涙を呑んでの申し入れを呑む。
一応、結婚する2人には幸有らんことを。
1612年8月
ニュージーランド北島のタラナキの移民が1000を越え、州に昇格。
そして同時にアイルランド王国の中核州ともなった。
1613年12月
タールー3世崩御
イギリス及びポルトガルの侵攻による前国王の戦死という事態の中即位し、心休まるヒマのない在世であった。
次はEU3アイルランドでプレイその14 フェイドリミッチ3世の御代「手加減は出来ぬ」 にて。
EU3アイルランドでプレイその12 ムカジ2世の御代「蹂躙」 [EU3]
EU3アイルランドでプレイその11 フェイドリミッチ2世の御代「彗星は不吉の前兆」 の続きです。
1601年7月
ファイドミリッチ2世崩御
新国王ムカジ2世即位
能力 行政3 軍事3 外交8
1602年8月
イギリスとその同盟国のポルトガルが突然宣戦布告。
この戦争は後に「ブリテン-アイルランド戦争」と呼ばれることになる。
南米ではリオデネジャイロに攻め込まれ、本国周辺はイギリス及びポルトガル海軍による港湾封鎖に逢う
大西洋上ではバミューダとセントヘレナがポルトガルに占拠された。
1604年11月
激戦の続いていた南米戦線で遂にアイルランド地上部隊が全滅し、南米リオデネジャイロとミナスジェイラスがイギリスに占領された。
国王ムカジ2世はラテン騎兵2個連隊を率いて戦っていたが、このときあえなく戦死。
その後を継いだタールー3世(行政4、外交3、軍事5)はアイルランド本土防衛戦で侵攻してきたイギリス軍&ポルトガル軍との戦いで、彼らを海に叩き落とし続けている。
次は、EU3アイルランドでプレイその13 タールー3世の御代「悔しい喃、悔しい喃」にて
EU3アイルランドでプレイその11 フェイドリミッチ2世の御代「彗星は不吉の前兆」 [EU3]
EU3アイルランドでプレイその10 ムカジ6世の御代「ニュージーランド処理」 の続きです。
新国王フェイドリミッチ2世即位
能力は行政5、軍事6、外交4
この頃、カトリックのローマがプロテスタント勢力に制圧されていたり、リトアニアが圧倒的に勢力を伸ばしてポーランドはロシア奥地のシンビルスク1国に押し込められていたりする。
あとクーアラントはチェートン騎士団領だが、リトアニアに本国と遮断されていて第二次大戦の東部戦線と同じ状況である。
1599年7月
南米リオデネジャイロで国境を接するイギリスから警告を受けたが無視。
1601年2月
巨大な彗星が出現して悪い前兆だと騒ぎになり、国の安定度が下がった。
そして「悪い前兆」の予言は、結果的に正しかった。
1601年6月
南米ミナスジェイラスとアタカマの移民が1000を越えて州に昇格した。
この2つの州は後に南米におけるアイルランド王国最重要拠点となり、様々なドラマがここで繰り広げられることになるが、この時点でそれを予想できた者は誰1人いない。
1601年7月
ファイドミリッチ2世崩御。
短い治世であった。
間もなくアイルランド王国は激動の時代に入る。
次はEU3アイルランドでプレイその12 ムカジ2世の御代「蹂躙」 にて。
EU3アイルランドでプレイその10 ムカジ6世の御代「ニュージーランド処理」 [EU3]
EU3アイルランドでプレイその9 ムカジ1世の御代「教皇庁の御者」 の続きです。
新国王ムカジ6世即位
能力 行政3 軍事8 外交7
1590年6月
ニュージーランド北島において再び前と同じ騎兵2個連隊、砲兵1個連隊でファンガレイに攻め込んで戦闘。
今回は初めてファンガレイの地で勝利を収めた。
8月までに3回の掃討攻撃を行ったが、流石に疲弊していたのか3回目で敗北して撤退に追い込まれることに。
しかしファンガレイの原住民には回復不能なダメージを与えている。
1592年
南米リオデネジャイロの北にあるミナスジェイラスの情報が入ってきた。
黄金が取れるエリアであることが判ったので、リオデネジャイロで編成したラテン騎兵1個連隊を侵攻させて18回ほどの掃討作戦の末、原住民を全てジェノサイド。
その甲斐あって9月には無事にアイルランドからの移民の第一陣が移民成功した。
何という外道。
黄金とはこれほどまでに人を狂わすモノだ。
更に植民地経営により多少の軍事行動に金銭的余裕が出来てきたことも、このような行動を取れるようになった一因といえる。
1593年8月
再びファンガレイに侵攻。
4回の掃討作戦により、遂にファンガレイの原住民のジェノサイドに成功した。
これによりニュージーランド北島の原住民は全滅した。
何という神をも恐れぬ所行。
1595年4月
グアムでまたもや原住民の蜂起。
しかし、この蜂起で原住民もまた全滅した。
1595年11月
ファンガレイへの移民が初成功
これでニュージーランド北島全てがアイルランド王国の植民地となった。
この時点でカスピ海付近のアストラハンまで明帝国の領土になっている。
1597年7月
ムカジ6世崩御。
この国王の御代で遂に血なまぐさいニュージーランド北島の処理が完了した。
いつか、この報いは受けるであろうか。
次はEU3アイルランドでプレイその11 フェイドリミッチ2世の御代「彗星は不吉の前兆」 にて。
EU3アイルランドでプレイその9 ムカジ1世の御代「教皇庁の御者」 [EU3]
EU3アイルランドでプレイその8 ドナル6世の御代「ワイワルング殲滅」 の続きです。
新国王ムカジ1世即位
能力 行政7 軍事4 外交4
即位後、1年足らずでニュージーランド北島で延べ約10回にわたる掃討戦が行われている。
事実上の虐殺である。
数の多いマオリ族に対し、敗北はしても確実に敵より大きい損害は与えている。
損害数に注目。
1569年10月
宮廷顧問(経済担当)マテゥイン・フィッツモーリスの名声が上がったので「国境を越えて広まるだろう」を選択して国威が上がった。
1569年2月
征服者として長年活躍したフラン・フィッツモーリスが死去
オーストラリアやニュージーランドでの10回以上の原住民への殲滅行動を指揮した、原住民にとっては正に悪鬼とも言うべき人物であった。
1571年3月
オーストラリアのワイワルングが移民1000人を突破して正式な州となった。
1572年12月
探検家ドナル・ハーヴェイが死去
オーストラリアやニュージーランドなど南部太平洋で様々な発見を成し遂げ、最後の公開として逆回りで本国アイルランドに戻り世界一周公開を成し遂げようとしていた先に死であった。
1573年4月
オーストラリア南西のワドジェイに最初の移民到着。
1575年7月2日
カラベル船「オーラ」が地球を逆回りに回って建造された港であるリオデネジャイロに帰還。
初めて世界一周した船となった。
1577年1月
セントヘレナへの植民成功
大西洋上の重要拠点なので一応押さえる。
1577年10月
ニュージーランド北島のタラナキに初植民成功
この地域での原住民生存は1300人ほど。最初は4000人以上いたが、度重なる「掃討」作戦により、ここまで激減している。
1588年1月
国内貴族が外国(ミュンスター)と結んでいたことが判明
スパイを処罰すべく「裏切り者には罰を」を選択。
ミュンスターに対する大義名分を得たが、いくらミュンスターが小国に落ちぶれているとはいえ戦争をやる余裕は無いので無視。
ブルゴーニュの属国でもあることだし。
1578年8月
アイルランドの中核州にケープが加わった。
これと同時期にワイオアも移民1000人を突破し州となった。
1578年9月
太平洋のグアムに初移民成功。
1578年10月
ニュージーランドのタラナキで反乱発生。
駐留の騎兵2個連隊が報復攻撃を行う。
この頃アイルランドのインフレ率は45%で世界各国の中で一番高い。
このゲームのインフレ率は全ての費用に関わってくるので、何をやるにせよ世界中で一番物価が高い国だといえる>アイルランド王国
初期に3回も破産しているのと、その返済のため貨幣を大量発行せざるを得なかったのが効いている。
1580年2月
アイルランド王国の中核州にニュージーランド北島のワイロアが加わった。
これまでに一体何人の原住民の血が流れたのだろうか。
1580年9月
ワイロアで再び原住民の蜂起あり。
再び駐留の騎兵2個連隊が報復攻撃。
1580年10月
アイルランド王国の中核州にオーストラリアのワイワルングが加わった。
金が特産品の土地でもあり、地球の反対側であってもアイルランドの生命線である。
原住民は全てジェノサイド済ではあるが、やむを得ない。
1582年3月
タヒチの移民が1000人を突破して州になった。
タヒチでは原住民と共存したので、人口は即座に2000人となった。
同時にアイルランド王国の中核州にもなっている。
1583年1月
タラナキとグアムで原住民の蜂起。
タラナキは即座に報復攻撃をかけたがグアムの方はどうすることもできない。
あまりにもタラナキの蜂起が続くので、さっさとジェノサイドしておけば良かったと後悔。
恐らく未だ5800人もの原住民を抱える隣のファンガレイからの応援を受けているのであろう。
1584年5月
流石に腹が立ったので、タラナキの原住民をジェノサイド。
わずかな生存者は隣のファンガレイか海を越えて南のニュージーランド南島に逃れたと思われる。
1585年9月
南米のバンダ・オリエンタルで原住民の反乱発生
太平洋突破のための根拠地だったので鎮圧はせずに放っておく。
1587年10月
ニュージーランド北島で原住民の勢力がまだ残っているフィンガレイにこれまでのラテン騎兵2個連隊に、鋳鉄製小口径キャノン砲1個連隊を加えて攻め込んだが、あえなく敗北。
しかし、これまで以上に大損害は与えた。
1588年10月
再び前と同じ騎兵2個連隊、砲兵1個連隊でファンガレイに攻め込んだ。
敗北はしたが敵にこちらの2倍の損害は与えている。
1588年11月
統治技術が9レベルに
新たな国策として「科学革命」を採用し、科学技術の発展を助ける。
1589年9月
教皇庁の権限を握る7人の枢機卿のうち、2人がアイルランド王国出身でまだ他国に買収されていないため、アイルランド王国が教皇庁の権限を握り、「教皇庁の御者」の栄誉を受けることに。
7人中2人がアイルランドのミース出身者。
いくらカトリックの国とはいえ、こちらでは何もやっていないのだが。
じきに他国に買収されて意味が無くなるだろうが。
1590年2月
ムカジ1世崩御。
やっていたことは、ニュージーランドでの虐殺だけだが、運により「教皇庁の御者」の称号まで得てしまった。
この世には神など存在しないのだろう。
次はEU3アイルランドでプレイその10 ムカジ6世の御代「ニュージーランド処理」 にて