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陸軍軍曹は大変なものを盗んでいきました [軍事]

 土日に和歌山に行ってきたときに、なぜか古本市で買ってしまった 


についての感想を。 

 この本の著者は大戦末期に陸軍航空隊の陸軍航空輸送隊に所属して、後方から前線までの飛行機輸送任務を行っていた人物です。 
 大戦末期の飛行機輸送部隊の体験記なんて、全然無いのでそれだけでも貴重です。 

 あと終戦直後にこの人がやらかしたことは、後で書きますが、 
「お前はなんて事をやらかしてるんだ~!!」 
と叫びだしたくなったり。。 

 いくつか箇条書きを。 

・著者は昭和2年生まれで終戦の時にはまだ18歳。 
 搭乗員としての訓練は逓信省の乗員養成所で受けて、そこを昭和16年4月入学、昭和19年10月卒業という軍人搭乗員としては珍しい経歴。 
 卒業時点で上等兵になり、陸軍航空輸送部第9航空隊太刀洗分遣隊に配属されて、各地に航空機を輸送する任務につくことに。 
 昭和20年3月に一気に軍曹に昇進。 

・1944年10月に部隊配属された時点で著者の飛行時間は300時間。 
 この時期には特攻も始まり実戦部隊の搭乗員の飛行時間は100時間を切る者も出てきている時期なのに、これは破格過ぎ。 
 しかも著者たちは上等兵なのに盲目下での計器飛行や海上飛行、大概の飛行機を操縦できるスキルを持っています。 
 日本陸軍航空隊はこんな戦争末期になって、飛行機輸送要員には戦闘搭乗員よりも格上のスキルが必要だと認識して部隊配備をしたのですね。 
 もっとも沖縄戦のあたりになると遠距離航空輸送のニーズが減って、高いスキルを持つ彼らも、特攻要員に回されて出撃させられますが。 

・著者たちが一番数多く行った任務は、満州の奉天にある満州飛行機で製造された二式高等練習機(Wiki)を現地で受領し、試験飛行を行って問題が無ければ、福岡県太刀洗飛行場まで運び、そこから中国沿岸沿いに給油しつつサイゴンまで届けること。 
 帰りはまとめて輸送機で奉天に帰還。 
 この任務を沖縄戦開始寸前まで続行し、あとは終戦まで鹿児島や北部中国に輸送飛行。

・著者たちが属していた第9飛行隊太刀洗分遣隊の編成は、隊長が学徒動員で搭乗員の少尉、下士官搭乗員が3人、上等兵搭乗員が10人、整備員として見習士官2人、各種地上支援として主計軍曹1人。 

・満州では対日感情が良くないので、満州飛行機で受領した二式高等練習機には胴体内部に「打倒日本」と書かれていたり、受領して最初の試験飛行で離陸直後にいきなりプロペラが外れたのも。 

・著者は主計軍曹の助手になって、2万円の現金(今のお金で4000万円程度)を持ち、各地で食料買い付けとかを行った。その権限を利用して宴会をやったり給料の二重取りもやったり。 
 数え年18歳の少年兵がそんな現金を扱うとは。 

・大戦末期にサイゴンで革製品を買って、上海でそれを売ればインフレなので親日政権通貨で5万円になり、それを満州の銀行で満州円に換え、さらに朝鮮の朝鮮銀行で日本円に両替すれば、公式レートは全て1対1なので、それだけで日本円で5万円(1億円)が手に入った(著者はやってないと書いてます)

・著者たちが部隊配備されたころは既に制空権も怪しく、中国沿岸を飛行していたら、地上から狼煙が上がっていたので近くの飛行場に緊急着陸したら、そのとたんP-51に襲撃されて乗機が全て破壊されてしまったことも。 
 それでも数多くの輸送任務を行いながら、一回も敵機との空中戦を経験してないっぽいので、著者は非常に運の良い人かと。 

・輸送飛行中に一番困るのは眠くなること。 
 敵に制空権を握られかけているので、地上でも色々と作業があり寝不足気味なのが、それにさらに拍車を。 

・著者が沖縄戦の最中に一式戦三型を鹿児島の知覧飛行場まで輸送する最中に地図を無くして、海軍の国分第二基地に不時着して一晩過ごして駐留航空隊からご馳走を受けるエピソードがありますが、この航空隊って芙蓉部隊じゃないですか。 

・終戦時に著者が行っていた任務は、95式1型中間練習機(Wiki)を特攻任務用として北京に輸送すること。 
 奉天で足止めを食らってしまい、さらに乗ってきた飛行機が廃棄寸前のを引っ張り出したので飛行中に穴が開くような代物だったので、それで日本に帰国することも出来ず、現地の飛行場長に頼まれて示威飛行を行っていたら、近くの飛行場に真新しいMC20輸送機(Wiki)が転がっていたので、仲間を連れて「試験飛行を行う」と近くの兵に告げて、堂々と盗み出して日本に帰ってきた。 
 ちなみにそのMC20輸送機は参謀本部が満州国皇帝溥儀救出のため、派遣したもので、奉天に辿り着いた溥儀一行は待っているはずの飛行機が盗まれてしまい脱出不能になり、ソ連軍に捕まってしまう事に。 
 著者はかなり後に、そのことを知ってビックリ。 

 というか、18歳の陸軍軍曹風情が何とんでもないことやらかしているんですか。 
 いや一応悪いのは、それを止められなかった輸送機の警備担当者だとは思いますけど。 
 そもそも、その時に全く事態を知らない「18歳にして飛行時間800時間で大概の陸軍航空機を操縦できる熟練搭乗員」が居合わせてしまった事そのものが不幸かもしれませんが。 
(飛行時間は帯に500時間と書かれていたのと、配備までの300時間を合計して)
  
 色々と妙なエピソード満載の本ですが、特に終戦時の出来事のインパクトが大きすぎ。 
 知らなかったとはいえ、あんたはなんというものを盗んでるんですか。

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$5

この元少年飛行兵の人って死んだらあの世で溥儀さんに
「お前のせいで俺は露助に捕まったんだ謝れ!謝れ!」
と襟首を掴まれそうですな。

もっとも、予定通り用意していた輸送機で日本本土に逃れていたとしても、結局は日本で連合軍に捕まり裁判を受ける羽目になっていたのは避けられなかったでしょうが。
by $5 (2009-06-03 00:13) 

神 長門

↑幻の満州国皇帝救出作戦を読むと、奉天から平壌まで来るはずの溥儀一行を迎えに本土から来てた人らがいたんですよねぇ…
この人らにも襟首掴まれそうだ
by 神 長門 (2014-02-01 13:15) 

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