SSブログ

陸軍特攻開始の時系列的な流れ [軍事]

陸軍航空の軍備と運用〈3〉大東亜戦争終戦まで (1976年) (戦史叢書)

陸軍航空の軍備と運用〈3〉大東亜戦争終戦まで (1976年) (戦史叢書)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 朝雲新聞社
  • 発売日: 1976
  • メディア: -

 

 戦史叢書94「陸軍航空の軍備と運用(3)終戦まで」から陸軍航空側からの特攻発動経緯の公式記録です。
 個人名とか具体的な部署は差し障りがあったと思われるので抜けていますが、、こういうことすら調べにくいんですよね。


昭和19年2月下旬 
 陸軍中央部の航空関係者が艦船体当たり攻撃の検討を開始。
 すでに陸軍爆撃部隊の一部は海軍から雷撃訓練を受けているが、陸軍航空はこれまでの戦争経緯から戦闘機中心に再編成しているため、艦船を攻撃できるを爆撃戦力が非常に少ないのがその一因(大戦後半には爆撃機部隊や襲撃機部隊を解体して戦闘機部隊に人員を回しつつある)

昭和19年3月
 陸軍参謀本部で艦船体当たり攻撃を採用の決定。
 決定に至る詳細は書かれていないが航空本部では抵抗があった模様
 特攻兵器の開発は射爆爆撃器材、化学兵器の研究を担任する第三航空技術研究所に命じられた。

昭和19年5月27日
 この日に行われたビアク島での二式複戦における体当たり艦船攻撃は、体当たり攻撃の威力を示したものとして陸軍部内に感銘を与えた。
 この数日後、第二航空技術研究所ではロケット推進無線誘導の飛翔爆弾の研究が強力に推進される。
 これは特攻へ向かう流れを止めようとするものであったが無理であった。

昭和19年7月11日
 第三航空技術研究所長正木博少将が、この日付の文書で特攻戦法による艦船攻撃の効果について報告。
 8月末までに20機程度は九九式双軽を特攻用に改造可能とも。

昭和19年7月
 詳細な日付は書かれていないが、教導航空軍(航空総監部)は、鉾田教導飛行師団に双軽の特攻隊、浜松教導飛行師団に重爆の特攻隊の編成を内示。

昭和19年8月中旬
 99式双軽と4式重爆の特攻機への改修が着手される。

昭和19年10月4日
 鉾田教導飛行師団に正式な体当たり部隊編成命令

 陸軍最初の特攻隊は絶対に失敗するわけにはいかないので鉾田教導飛行師団、浜松教導飛行師団でも腕利きの精鋭で編成された(形は志願だが実質的に上から指名)

昭和19年10月末
 陸軍特攻開始。


 海軍特攻よりも経緯がやるせないんですよね>陸軍特攻
 大西みたいに悪役を引き受けた人もおらず、官僚的な方向性が強いので。
 あと特攻開始が時系列的に同じなので海軍とも絶対に話は合わせていると思うんですが、そこらへんについて書かれた資料は見たことありません。 

 あと、この戦史叢書94「陸軍航空の軍備と運用(3)終戦まで」は他にもこの本で初めて知った記載が色々とあって面白いです。

 しかし終戦時に陸軍航空隊の要員だけで約70万人居たとは。
 海軍航空要員も同じくらいのようです。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。