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やる夫鎌倉幕府は第一部クライマックス [歴史]

やる夫鎌倉幕府は、連載開始から1年でついに第一部のクライマックスまで来ました(最新スレッド やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです 巻第二十八

 すでに源頼朝は征夷大将軍になって「幕府」は完全成立しているので、後は第一部主人公の足利義兼の末路のみ。
 最新話の第廿六幕「愛別離苦」前篇で、曽我事件や源範頼粛清、そして足利家に一つの悲劇が。
 そして来週の後編では更に本格的な鬱展開確定です。
 昔、足利義兼夫妻の悲劇を最初に知ったときは「何、この暗黒御伽噺?」と思いましたが、史跡とかの状況証拠からしてマジっぽいですからね。

 あと幾つか思ったこと。
  
・源実朝が初登場しましたが、キャラがSchool Daysの伊藤誠ですか。
 かなり意外。
 連載初期の段階で誠に当てはめるキャラはとっくに決まっていると作者が書いているので、元からの予定でしょう。
 しかし実朝が誠ということは公暁の役も完全に決まりなような。

 個人的な予想では誠は北条泰時の奥さんの不倫相手あたりかと思っていたのですが。

・どう見ても異様に不自然に豪華な北条泰時の元服式がやっぱりネタにされていました。
 泰時の父親の北条義時は、当時の北条家当主の北条時政の庶子で(だから、この時点で義時は分家して「江間」の苗字を名乗っていたり)、かつ泰時はその義時の庶子で母親の名前も伝わっていません。
 いわば「当主の庶子のそのまた庶子」の子供の元服式に、鎌倉幕府有力者のほとんどが参列してかつ烏帽子親が源頼朝なんて変です。
 ついでにこの時点ではまだ北条氏はそんなに有力豪族ではありません。
 本当に北条泰時は義時の子供なのか疑いたくなるくらい。

 その後の得宗家の歴史からは想像できませんが、実は義時も泰時も北条氏当主になれたのはかなりの偶然が重なった結果だったりします。
 泰時に当主の座を奪われる形になった義時の本来の嫡子(前の義時の結婚話での相手の子供)の流れは名越家になって、ことあるごとに得宗家に逆らう存在になるのは偶然じゃないです。
 得宗家と名越家の争いは足利家にまで飛び火して、足利家から斯波家が分かれるきっかけになりますが、それはまたかなり後の話。


 とりあえず来週は期待して待ってます。
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