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一休と蓮如のコンビ [歴史]

 やる夫系の歴史物はやたら長かったりで、読み始めるには抵抗を覚えるものが多いですが、乱世の豪放磊落シリーズは短編で、かつどのエピソードから読んでも問題ない作りです。

 このシリーズは、室町時代~戦国時代の僧侶として、非常に有名な一休と蓮如のコンビが史実でやらかした掛け合いを描いています。
 二人とも方向性が違えど日本史に残る高僧ですが、二人は親友と言ってもいいぐらいの付き合いをしていたとは、これを読んで初めて知りました。
 作者の方は本職の僧侶でもあるようです。


 長編のやる夫歴史シリーズでは、やる夫が伊勢盛時となるようですが今盛り上がってます。
 このシリーズは、伊勢盛時こと後の北条早雲が主人公なのですが、話の始まりは主人公が生まれる前の足利幕府第6代将軍足利義教の治世から始まり、今はようやく応仁の乱に入りましたが、未だに主人公たる伊勢盛時は少年でろくに話に出てきません。
 既に話自体は結構長いのに、何時になったら主人公が活躍するのやら。
 ストーリーは、主人公の出身氏族の伊勢氏視点で室町幕府中期の歴史を描いているので、かなり視点が新鮮です。

 しかし、この話は応仁の乱が開始されたところですが、この戦いは序盤から展開がグダグダすぎて、戦局の移り変わりがよく分かりません。
 これでも地図があるので、他の解説書よりは分かりやすい筈なのですが、それでもグダグダです。
 戦場が京の市街地で進軍を妨げるチョークポイント系な場所が無いので、締まりがないのですよね。
 更にグダグダになっていく応仁の乱をどう描いていくのか楽しみではあります。

やる夫鎌倉幕府、完結!! [歴史]

 2月21日の朝4時過ぎ、長らく続いたやる夫鎌倉幕府シリーズの最終幕「源又太郎」が終了し、長らく続いたこのシリーズも遂に完結しました。 
 最終幕はこれまでの主人公足利義兼と義氏が亡くなった後から、一気に時代が飛んで、源又太郎こと足利尊氏が主人公で、これまでの総まとめであり更に次の時代予告編的なエピローグ。 
 これくらいはネタバレじゃないと思うので書きますが、話の始まりとなった源頼朝の旗揚げ時に集まった仲間たちや関係者の子孫たち(キャスティングは先祖と同じ)が、150年の時を経過して、再び源氏の棟梁として旗揚げせんとする足利尊氏の元に集まってくるという終わり方でした。 
 綺麗な完結をして、もう感無量。 
 やる夫南北朝として、そのまま続けても良い感じの出来で、南北朝に繋がる伏線も沢山張られていますが、このまま終わったほうが美しいでしょうね。 
  
 ちなみにやる夫鎌倉幕府第1幕が始まったのが、2008年11月16日。 
 開始から、ほぼ毎週日曜日にほとんど途切れないで、新作をアップし続けて、きちんと完結させた作者の方にはお疲れ様の言葉では足りません。 
 数あるやる夫シリーズには、途中で中断する作品も少なくありませんが、途切れずに2年以上の連載を続けただけで偉大です。 

 私がやる夫鎌倉幕府シリーズを知ったのは2008年11月末ぐらいで、それからずっと話を追いかけ続けてきましたので、その意味でも感無量。 
 このようなレベルの高い話を、リアルタイムで追い続けることが出来たのですから。 
 去年末には、何故か作者の方と二人で飲むまでに至りましたし。 



 一応、最終幕の個別感想も。 

・最終スレが、やる夫は鎌倉幕府を―― 第六十一で、きちんと1000で終わっているのは凄いです。
 調整お見事。

・やる夫鎌倉幕府のモットーは、 

 このスレには、特定の歴史的人物及び版権キャラに対する侮蔑と 
受け取られかねない表現が多数含まれておりますが、 
それらは決して人物や地域に対する差別偏見を助長するものではなく、 
歴史上、版権上の如何なる地域・人物・団体をも、 
平等に貶める意図を持っていることをご理解下さい。 

というものですが、最後までそのスタンスは守られてました。 
 例えば後醍醐天皇とその腹心の三木一草たちのキャラ人選が余りにもアレ過ぎて吹きました。 
 あと先祖の三浦義村と同じキャラ(アカギ)でありながら、完全に壊れたキャラになってしまった三浦高久。史実でも主君の今川家一筋な人だったので間違っていないのが恐ろしいです。
 元寇のモンゴル軍たちも、ここまで怖さが全くない描写も無いでしょう。 

・北条時頼の治世の後半から、鎌倉幕府滅亡寸前に至る歴史もかなり簡単に描写されましたが、かなりどうしようもない歴史ですねえ。 
 一般的には善玉として描かれることの多い安達泰盛に、悪役キャラなうみねこのベアトリーチェを当てはめてましたが、理由がよく分かりました。 コンビを組んでいる北条時宗に割り当てられているのは同じくうみねこの戦人だし。

・鎌倉時代から松平氏と伊勢氏に変なフラグが~!

・最終幕では、これまで活躍した人物の子孫が祖先と同じキャスティングで大量に登場してきて感無量。使ったAAキャラ数はやる夫シリーズでもトップクラスな気が。 


 何はともあれお疲れさまでした>作者の方 
 二年間、毎週大変面白いものを読ませていただきました。 
 まとめサイトに掲載されるであろう最終幕のディレクターズカット版も楽しみにしています。 
 あと次回はやる夫桓武天皇をやられるようなので、そちらも楽しみ。

時代は繋がっている [歴史]

 今日は大阪に行って、やる夫鎌倉幕府の作者の方と飲みながら、色々とお話をしてきました。

 やる夫鎌倉幕府の作者の方とお会いするのは初めてでしたが、普段周りに鎌倉幕府のことを語り合える人が居ないせいか非常に話が弾み、とても語り足りないくらいでした。
x ただ話題に上った中で二人で同意に至ったことの一つに、

・戦国時代のファンは、戦国時代の事しか知らないので歴史を変な方向に理解していることが多い。

 正直、戦国時代のいろんな地方勢力の動向って、鎌倉時代から引き続く時代のしがらみが多すぎなのに、それが判っていない人たちばかりな感じが。
 徳川家康が出た三河は、鎌倉時代に足利氏の根拠地だったせいで普通ならそのまま国人化する細川氏とか一色氏とかが中央に出てしまいましたので、鎌倉依頼の由緒ある地方勢力が少なかったことが絶対にプラスになっているような気がします。

 とにかく非常に語り合っていて非常に楽しかったので、また一緒に飲みたいです。


鮫島具重中将の先祖 [歴史]

 源頼朝が1184年6月に甲斐源氏の一条忠頼を暗殺した際、鮫嶋の四郎という人物が誤って鎌倉方の味方を殺してしまったため、頼朝の御前で右手の小指を詰めさせられています。 
 今のヤクザとやっていることは同じですね。 

 その後、この鮫嶋さんは鹿児島の大隅半島の先っちょに地頭として赴任させられましたが、どう見ても懲罰人事です。 
 その後の義経追討令が出たときに、鮫嶋さんは更に南の喜界が島に義経を捜すべく捜索船を出したりしてますが、そのときに彼の心情を考えると泣けてきます。 

 で、その子孫が、日清戦争時には常備艦隊兼連合艦隊参謀長で日露戦争時に佐世保鎮守府司令官で男爵になった鮫島員規と、太平洋戦争時のブーゲンビルに居た鮫島具重中将(この人は養子なので血は繋がってませんが)らしいです。 
 もし鮫嶋の四郎さんが大隅半島の先に流されていなかったら、この家は続かなかった可能性大なので、何がどうなるか判りません。 

 味方討ちするようなおっちょこちょいな人が頼朝死亡後の微妙な政争を生き延びれたとも思えませんし、いくら懲罰人事で飛ばされたと言っても「頼朝から恩賞を受けた古参御家人」であることは間違いなく、それが辺境では多大な価値があったことは間違いないですから。 

小弓公方を支えた存在 [歴史]

 戦国時代で今の千葉県中部から南部を勢力下に置いていた小弓公方というのは、ホントに訳判らない存在です。 
 その滅亡も呆気無さ過ぎますし。 
 ただでさえ、戦国時代の関東地方は訳が分からない大混乱状態なのに、これが出てくると更に意味不明になってきます。 
 そんな小弓公方についての唯一と言ってもいいぐらいの本を最近読みました。

小弓公方足利義明―関東足利氏の正嫡争いと房総諸士 (ふるさと文庫 197)

小弓公方足利義明―関東足利氏の正嫡争いと房総諸士 (ふるさと文庫 197)

  • 作者: 千野原 靖方
  • 出版社/メーカー: 崙書房
  • 発売日: 2010/04
  • メディア: 新書

 歴史書としては極めて文章も読みにくく、とても人にオススメする気にはなれない本ですが、これ以外に戦国時代前期の房総半島の情勢とかが書かれた本は知りません。
 ただ、この本に書かれてた小弓公方を支えていた存在を知って、ちょっと切なくなったり。 
 初代(というかこの人だけで終わり)小弓公方の足利義明を支えていたのは、上総の真里谷武田氏と安房の里見氏ですが、義明が父親にも勘当されて陸奥を放浪していたりして彼等に推戴される前は、上総や下総の小豪族たちが支援されていたようです。 

 その小豪族たちは、鎌倉時代初期に足利氏が上総介や上総守護だった頃から、その土地の足利氏の所領を管理してきた足利家根本被官たちの一族で、更に足利氏が幕府を開いてからも、出世できずに現地の小豪族のままだった者たちです。 

 彼等は小領主であっても、足利氏に昔から仕えてきた根本被官である誇りは持っていて、室町時代になってから足利家に仕えて出世した者たちへのコンプレックスはあった筈。 
 だからこそ、いつも 

「今の関東(古河)公方はどっかに流罪にして、オレが関八州の将軍になる!!」 

とデカイこと言ってるけど、あんま統治能力高いとは言い難い流浪の足利家御曹司と会ってしまって、

「もし、彼を担げば今は不遇な俺達にも目が向いてくるかも? 
 いや、この人を担ぐことこそ足利家根本被官としての役目!!」 

みたいな感じで夢を見てしまったのかもしれません。 

 世界史上、「なんでこんな変な奴担いで反乱起こそうなんて思ったの?」という事例は沢山ありますが、担ぐ側もせめて夢を見てみたい歴史上の成り行きがあった事が多いんですよね。 
 やるせない話です。

どうなるか知識はあっても展開が読めない [歴史]

 最近のやる夫鎌倉幕府(最新話)ですが、展開が凄すぎます。
 正確には歴史がどうなるのか知識があっても、話の展開が全く読めません。

 普通語られる歴史では、
「承久の乱に鎌倉幕府は勝ちました。そしてすぐに北条泰時の完璧な政治が始まりました。メデタシメデタシ」
で終わるのに、何故このやる夫鎌倉幕府では承久の乱に勝利した後、これまで以上に暗鬱な雰囲気なのやら。

 最新話では北条時房の一人称で進むという予想外の進み方で、昔のちょっとしたことが深い伏線であることが判明。
 そして北条時房のキャラにメカ沢を割り振ったことによる意外なシリアス展開。

 今回、時房が父の北条時政を語った

「父は女を嗜まない。女は他家と繋がり、子を作る手段であるからだ。
 父は酒を嗜まない。酒は貴人に取り入る手段であるからだ。
 父は賭を嗜まない。人生そのものが博打だからだ。」

というセリフにじんと来たり。
 
 始まってから、かなり立ちますがまだまだこの話は目が離せません。

やる夫鎌倉幕府は北条政子の演説 [歴史]

 7/3から7/4にかけてアップされたやる夫は鎌倉幕府を成立させるようです最新話は、承久の乱勃発に伴う北条政子の演説。

 長かったやる夫鎌倉幕府シリーズも遂にここまで来ました。
 シリーズ最大のクライマックスシーンです。
 以前の説明台詞とかも出てきて感無量。

 政子の演説シーンは、どう見ても「詰み」な状況から女性の演説で情勢を逆転してしまった世界史上でも希有な燃えシーンでもあると思ってます。

 ただ私が知らなかったのは、有名な北条政子の演説の直後、このシリーズの主人公な足利義氏が政子の前に呼び出されて、政子から手ずから頼朝佩用の剣を直接手渡されているということでした。
 多数の御家人の前でそんなことをやるということは、頼朝の右大将家が断絶した後の清和源氏の嫡流は足利氏であると天下に宣言したと同様のことで す。
 足利氏が後に将軍になり、武士の大部分がそれを認めたのも納得できます。

 ちなみに足利義氏が頼朝の剣を北条政子から受け取ったことは、承久記の前田家本に掲載されているとのことです。
 承久記は鎌倉時代中期成立で平家物語よりも成立が古いかもしれないとされていますが、朝廷に近い立場の慈光寺本でも足利義氏が「足利殿」と称されていると作者の方が某所で言ってました。
 「~殿」というのは室町時代までの権力者を示す称号で(鎌倉幕府の長が「鎌倉殿」、室町幕府の長が「室町殿」とか)、鎌倉時代の足利氏の地位の強さが判りますね。
 
 しかし、このやる夫鎌倉幕府シリーズも登場人物が500人を超えているようで、物凄く大河なお話になってます。
 まだ、これから出てくる人物もいるわけで一体最終的には何人出てくるのやら。

名誉革命の見事さ [歴史]

イギリス革命史(上)――オランダ戦争とオレンジ公ウイリアム

イギリス革命史(上)――オランダ戦争とオレンジ公ウイリアム

  • 作者: 友清 理士
  • 出版社/メーカー: 研究社
  • 発売日: 2004/07
  • メディア: 単行本
イギリス革命史 下 - 大同盟戦争と名誉革命

イギリス革命史 下 - 大同盟戦争と名誉革命

  • 作者: 友清 理士
  • 出版社/メーカー: 研究社
  • 発売日: 2004/07
  • メディア: 単行本

 この本でイギリスの名誉革命の過程の詳細を知ったのですが、「戦わずして勝利」の理想的な戦例すぎます。
 戦闘を行なっていないのに、イギリスのジェームズ2世側が勝手に崩れていく様はまさに芸術、

 例えばオランダから部隊を率いてやってくるオレンジ公ウィリアムへの迎撃命令を、イギリス国王ジェームズ2世は自らに忠実な艦隊司令官に下すのですが、その艦隊司令官が自分専用のトイレに入ったら何故かウィリアムからの裏切依頼の手紙が置いてあったり。
 こんなことがあったら怖くて攻撃に動けるわけありませんねw

 ジェームズ2世側は何も情報判らないまま、勝手に裏切り者が続出して軍勢が消滅して行く状態で、さぞや恐怖したことかと。
 軍事抵抗を諦めたジェームズ2世はオレンジ公ウィリアムに和睦の使者を送るのですが、ウィリアムは彼らとの交渉をジェームズ2世を裏切ったばかりのイギリス人たちに任せるのも汚いです。
 ウィリアムは建前上、
「国を憂いるイギリス人に招聘されてイギリスにやってきたので和睦交渉はイギリス人同士に任せるのが当然」
ということでこの処置を行いましたが、どう考えても裏切り者への踏み絵です。
 当然、温厚な措置などされる訳ありません。

  ジェームズ2世も国王即位前は陸上でも海上でも軍事指揮官として、かなり優秀な実績があるのですが、所詮「優秀な前線指揮官」であって司令官や国王の器では無かったんでしょうね。

貨幣に見る中国の歴史 [歴史]

 初心者の為の古文銭は中国古代から隋に至るまでの中国貨幣についてのページです。 
 各時代の銭から当時の社会情勢も読めてきて面白いです。 

 例えば三国時代の幕開けとなった董卓の治世で鋳造した新貨幣「董卓五銖」があまりにも劣悪だったため貨幣価値が極端に下落。貨幣経済そのものが崩壊したことが更に乱世を呼んだ原因ですが、五銖銭(東漢末期)で実際の董卓五銖の写真を見ると確かに粗末でこれじゃ動乱起こるの当たり前と思ってしまったり。 
 貨幣経済の崩壊で魏や晋では実質的な通貨を絹や麻にせざるを得なくなり、その後の動乱もあって中国全土的にきちんとした貨幣が造られるのは隋の頃になってしまうほどの混乱を董卓五銖はもたらしています。 
 律令制度での税体系は租庸調で日本にも取り入れられましたが、これは隋以前の体制で税を貨幣化できなかった名残だったりします。 
  
 また三国時代の蜀は蜀漢五銖銭と直百五銖銭(五銖銭100枚分の価値)を鋳造し、自国のみならず魏や呉でも通用するほどの貨幣価値を持たせることに成功して、三国一の小国なのに魏とも正面対決できるほどの経済力を持ったのですが、こちらにある蜀漢の貨幣を見ると国力の衰えに従い貨幣が小さくなっていくのが切ないです。 

 あと、前漢(西漢)と後漢(東漢)の間に新という王朝があり、理想主義的な現実にそぐわない政治を行ったため短期間で滅んでしまうのですが、「新」時代の貨幣を見ると貨幣政策も無茶苦茶ですね。 
 平首布とか戦国時代の貨幣を大マジに復活させようとしていたとは経済も大混乱に陥るわけです。 

 その他色んな時代の中国の貨幣とその背景が紹介されていて面白いです。 
 宣統通寶銭画像は20世紀になってラストエンペラーの時代に鋳造された貨幣で、もし中国に帝国がまだ続いていたらこんな感じで貨幣も続いていたのかもしれません。 


歴史のif検討委員会 [歴史]

 今年のGWは全て仕事だったりで忙しいです。 
 そのおかげで色々と支障が。 
 もっとも仕事が無かったら無かったらで、イベントとかで色々と忙しかったでしょうけど。

 最近読むのにはハマっているのはChakuwikiの歴史のif検討委員会ですね。 
 ありとあらゆる歴史のif関連について考察している項目でその量も膨大。 
 サブページの地方史とか鉄道史とかも面白くて読み応えがあります。 
 地方史は「あの町が合併していなかったらどうなった?」とか、鉄道史は「もし、あの路線が出来ていたらどうなった?」とかの歴史のif扱ってます。 
 多摩地方住民としては、もし多摩県が成立していたらが感慨深かったりします。

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