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七代末に天下を取る [歴史]

 アンサイクロペディアの源義家に記載されていたのですが、源義家が残した足利氏にとっての呪いの文書とも言うべき「我七代の孫に生まれ変わって天下を取る」という置文は、実際には、それよりも前にその予言は成就していたのですね。
 記事には、このような系図が載っています。

(源為義が義家の孫であるという見解に基づいた系譜)

義家 ー 義親 ー 為義 ー 義朝 ー 坊門姫 ー 九条良経の妻 ー 九条立子(順徳天皇の中宮) ー 仲恭天皇

(源為義が義家の子であるという見解に基づいた系譜)

義家 ー 為義 ー 源義朝 ー 坊門姫 ー 九条良経の妻 ー 九条道家 ー 九条竴子(後堀河天皇の中宮) ー 四条天皇
義家 ー 為義 ー 源義朝 ー 坊門姫 ー 西園寺公経の妻 ー 西園寺実氏 ー 西園寺姞子(後嵯峨天皇の中宮) ー 後深草天皇・亀山天皇  

 
 為義と義家の続柄は孫という説と子供という説の2種類の説がありますが、そのどちらでも至尊の座たる天皇位に義家の七代の子孫がついているのですから、天下をとったといって差し支えないかと。
 仲恭天皇は承久の乱ですぐに退位させられて、四条天皇はイタズラで廊下に滑石を撒いたら自分が転んで死亡したりで、全然パッとしませんが、天皇である以上、日本の頂点にいたことは確かです。
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