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鮫島具重中将の先祖 [歴史]

 源頼朝が1184年6月に甲斐源氏の一条忠頼を暗殺した際、鮫嶋の四郎という人物が誤って鎌倉方の味方を殺してしまったため、頼朝の御前で右手の小指を詰めさせられています。 
 今のヤクザとやっていることは同じですね。 

 その後、この鮫嶋さんは鹿児島の大隅半島の先っちょに地頭として赴任させられましたが、どう見ても懲罰人事です。 
 その後の義経追討令が出たときに、鮫嶋さんは更に南の喜界が島に義経を捜すべく捜索船を出したりしてますが、そのときに彼の心情を考えると泣けてきます。 

 で、その子孫が、日清戦争時には常備艦隊兼連合艦隊参謀長で日露戦争時に佐世保鎮守府司令官で男爵になった鮫島員規と、太平洋戦争時のブーゲンビルに居た鮫島具重中将(この人は養子なので血は繋がってませんが)らしいです。 
 もし鮫嶋の四郎さんが大隅半島の先に流されていなかったら、この家は続かなかった可能性大なので、何がどうなるか判りません。 

 味方討ちするようなおっちょこちょいな人が頼朝死亡後の微妙な政争を生き延びれたとも思えませんし、いくら懲罰人事で飛ばされたと言っても「頼朝から恩賞を受けた古参御家人」であることは間違いなく、それが辺境では多大な価値があったことは間違いないですから。 

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