SSブログ

伝説を作るために国民を犠牲にした組織 [軍事]

 太平洋戦争末期の日本海軍の行動は、一言で言えば「自滅的」です。
 レミングスの集団自決のごとく「死ぬ」ことが目的で戦争やっていたとしか思えません。
 そのことは後世から見ると「愚か」ですが、日本海軍としては合理的な判断のもとにそれを行っていたと思われます。

 マリアナ沖海戦で敗北した後の日本海軍の望みはどう考えても、
「第一次世界大戦のドイツ帝国海軍のようになりたくない」
です。
 第一次世界大戦のドイツ帝国海軍水上部隊はイギリスとの決戦兵力として整備されましたが、大戦中は港に留まっているばかりで直接的に戦争に貢献 できず、戦争に負けかけて最後の出撃を行おうとした時点で、反発した水兵の反乱によって崩壊し、ついでにドイツ帝国という国も崩壊させてしまいました。
 そして大量の残存艦艇はイギリスに拿捕されて晒し者になり最終的には集団自沈。
 ドイツ帝国海軍水上部隊は歴史上汚名を残して消滅したのです。
 当然、第一次世界大戦後のドイツでの海軍の扱いも悪いものでした。

 日本海軍は敗北が決定した戦争において「勇者のごとく倒れる」ことで後世への伝説を残して、戦後の扱いを良くしようとしていたのです。
 そのためには敗戦時に戦力が残っていてはいけません。
 残存戦力は全て敵主力部隊に攻撃をかけて華々しく散るべきで、防空や海上護衛に力を入れて最後まで国民生活を守るとかもっての他です。
 大戦最後の一年間にどれほど無理でも攻撃が強行されたり、訓練部隊を全て解体して特攻させたりしたのはその一環ですね。
 日本海軍の象徴たる戦艦大和が戦後残っていて拿捕されては日本海軍の名誉に傷が付きますから、沖縄特攻が無くても何らかの形で「美しい最期」を遂げさせられていたでしょう。
 日本海軍が末期に出す命令が精神論的な文面ばかりなのも当たり前です。
 彼らはその時代では無く、後世に自分たちが「格好良い文章の命令」で動いていた伝説の証拠を作りたかったのですから。

 ただ、日本海軍の考えでは自分たちが「伝説」を残すことで未来の日本の国防に役に立つと考えていたかと。
 特攻が開始されたフィリピン防衛戦時の頃から、
「我々は100年後の歴史のために戦っている」
という内容を訓示で言っていますし。
 そして、現状それは成功しています。
 戦争末期の日本海軍の行動で日本という国は、
「戦況がどんなに不利でも果敢に戦い続ける恐るべき闘志を持ち、追い詰められたら手段を選ばずに抵抗する国」
という印象を得ました。
 もはや、その印象だけで充分な抑止力になり、今後余程のことが無い限り日本に正面から戦争をかけてくる国は無いと思われます。

 でも、日本海軍が「伝説」を作った影で死ななくても良い将兵の命が無駄に失われ、防空や海上護衛などを無視して国民にも大量の犠牲を強いたことは確かです。
 大戦末期の日本海軍は
「自らの伝説を作るために、国民を犠牲にした組織」
と言えるでしょうね。
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 2

kawauso

大和の最後はどうやってもああなるしかなかったですが、やはり伊藤艦長としては艦船の無駄遣いとなる作戦には不本意で最後まで水上特攻は反対していました。

ただ結局、国民全員が特攻して滅びようという際に、お前たちがまずやらないでどうするか?というような説得をしたわけですよね。乗組員はそれはやっぱり士気は正直高くなかったとも聞きます。

日本の戦争遂行能力には私は逆に疑問符をつけることにもなったと思います。それで少しでも有利にことが運んだなら別なんですが、より強力に本土への攻撃を誘致してしまった側面もあります。
by kawauso (2009-12-27 05:28) 

!!!

なるほど、おもしろい話です。
考えさせられました。
確かに大戦後期には和睦はありえないという考えは海軍にあったと思います。
アメリカは絶対に和平を望まない。
勝つのがわかってますからね。
by !!! (2010-03-20 03:41) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。