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EU3アイルランドでプレイその16 ミレーダク4世の御代「夢は南米を駆け巡る」 [EU3]

 EU3アイルランドでプレイその15 ムカジ3世の御代「臥薪嘗胆」の続きです。

1637年9月
 新国王としてミレーダク4世即位
 能力 行政8 軍事7 外交4

1638年6月
 インカとの国境紛争で、こちらが国威を下げる代わりに引いた。

1638年7月
 ペルナンブコがアイルランド王国の中核州に昇格。

1639年2月
 ディアマンティーナがアイルランド王国の中核州に昇格。

 この頃ボヘミア&デンマーク&フィンラン VS カスティーリャ&イギリス&ポルトガルの間で戦争があり、南米のデンマーク植民地の大部分をイギリス軍が制圧している。
 こちらの南米植民地もイギリスに囲まれる状態になってしまって大ピンチ。

1642年6月
 南米アタカマに兵器工場を建設開始。
 値段は1468ダカット(インフレが激しいため高い)で期間は60ヶ月。
 このためにここしばらく貯金をしてきた。

1644年5月
 一部の貴族がイギリスに通じているらしい。
 売国奴どもめ。
 しかし、戦力的に今は戦争が出来ない時期なので、彼らに処罰をせず国威を2下げて忍ぶことに。

 この頃デンマークやイギリスが争った戦争終結。
 しかし、ミナスジェイラスを挟むようにして、北のゴイアスにイギリス軍騎兵、歩兵、砲兵1個連隊づつ。更に南のリオデネジャイロに騎兵2個連隊と歩兵1個連隊が駐留するという状況に。
 ここで戦争になったら一瞬で終わりなので、南米地域の防備を固めることにした。

 

1645年9月
 レンスターが属国化してから10年経ったので、併合要請をしたところすげなく断られた。
 まだ反動勢力が根強いらしい。
 色々と裏工作の後、もう一度挑戦してみる。

1647年6月
 ミナスジェライス方面が色々と危険なので、イギリスと宣戦布告。
 ゴイアスがまだ移民1000人以下で植民地である今しか戦争をするチャンスは無い。
 イギリス移民が来て州に昇格してしまったらアイルランド南米植民地の最後だ。

 戦争目的は、とにかく
「ゴイアスからイギリスを追い出す」
 まだゴイアスは植民地段階のため、一回イギリス軍を追い出して占領するなり破壊するなりしてしまうこと。
 これさえ達成できれば、あとはこちらから賠償金を払おうが多少領土を割譲しようが構わない。

 他に
・第2目標「ミースを奪回して再びアイルランド統一」
・第3目標「先の戦争でイングランドに奪われたリオデネジャイロの奪回」 
があるが、これは現実的な目標ではない。。

 戦線布告と共に同盟国リトアニア、属国のレンスターが一緒に参戦してくれた。
 イギリス側には同盟国カスティーリャとポルトガルが参戦。

 宣戦布告と同時に以下のとおり部隊を侵攻させた

アイルランド本土戦線
・ミースにラテン騎兵2個連隊とマウリッツ歩兵1個連隊で編成された第3軍が侵攻

南米戦線
・ゴイアスにラテン騎兵1個連隊とラテン・カラコル騎兵3個連隊(国王ミレーダク3世直卒)の第2軍が侵攻
・サントアマロにラテン騎兵2個連隊の第4軍が侵攻

開戦当初の経過
 ミース方面は駐留軍がいなかったため、すぐさま攻城戦に。
 ゴイアス方面は敵のイギリス軍騎兵、歩兵、砲兵1個連隊づつのイギリス第14軍と交戦し、これを敗走させた。
 即座にゴイアス植民地を占領しアイルランド領に組み込む。
 これで戦争の第1目的は達成された。
 サントアマロ方面は定数2分の1程度に落ち込んでいたイギリス第20軍(歩兵2個連隊)が相手だったが、何と定数装備の2個騎兵連隊のアイルランド軍が撃退され、ミナスジェライスへの反撃を食らってしまう。

 ミナスジェイラスに逆侵攻したイギリス第20軍は、ゴイアス方面から敗走してきたイギリス第14軍と合流して、騎兵1個連隊、歩兵3個連隊、砲兵1個連隊の戦力となり、ミナスジェライスの攻城戦を始めた。
 これを撃退すべく、敗走してきた第4軍の戦力を合わせてラテン騎兵3個連隊、ラテン・カラコル騎兵3個連隊の兵力となった国王ミレーダク4世直卒の第2軍が占領地のゴイアスからミナスジェライスへの救援攻撃を行った。
 イギリス軍が騎兵1個連隊、歩兵3個連隊、砲兵1個連隊で、アイルランド軍が騎兵6個連隊のこの激戦は、アイルランド軍の士気崩壊による敗走により、イギリス軍の勝利となった。
 しかし人的損害はアイルランド軍約700名、イギリス軍約2600名となり、勝者であるイギリス軍の損害がアイルランド軍の3倍に及び、戦闘前に約4000名の戦力だったイギリス軍は3分の1に兵力が激減した。

 ゴイアスに敗走したアイルランド第2軍は一ヶ月戦力回復に努め、定数6000人のうちの約5000人まで戦力回復したところで、再び攻城戦中のミナスジェライスに攻撃をしかける。
 攻城戦で伝染病が蔓延し、戦力回復すら出来なかったイギリス軍は今度こそ完膚無きまでに破られ、南のイギリス軍支配地域に撤退も出来ず、ミナスジェライスで殲滅された。
 これで南米のイギリス軍陸上戦力は全滅。
 更にペルナンブコとディアマンティーナで編成された2個歩兵連隊でリオデネジャイロとサントアマロに攻城戦を仕掛けた。
 防御施設の無いサントアマロはアイルランド軍の侵入と共に一瞬で陥落したが、防御施設の整ったリオデネジャイロでは攻城戦に入った。
 リオデネジャイロの防御施設はアイルランド領だった時にアイルランドが整備したものであり、皮肉なものである。

1647年10月
 この頃、南米南部(アルゼンチンのあたり)の植民地を反乱軍(クラレンス第1歩兵隊)が占領して回っており、アイルランド植民地のバンダ・ラプラタも占拠された。
 占領されている植民地は他にイギリス領、デンマーク領などがあるが、どこも対応戦力を出せないらしい。
 
1647年12月
 攻城戦を続けていたミースがアイルランド軍の手に落ちた。

1648年2月
 南米のアイルランド植民地セラノスが反乱軍によって占拠された。
 対処の仕様もない。

 この頃、ケープやニュージーランドから各地の他国植民地を占領すべく、輸送船に乗って戦略機動を行おうとするが、哨戒していたポルトガル海軍やカスティーリャ海軍に途中で追い払われる。
 やはり海軍国は強い。

1648年3月
 リオデネジャイロ陥落。

 

1648年7月
 ミースでイギリス軍の反撃あり。
 一撃で撃破する。

1649年6月
 レンスターにイギリス軍(歩兵1個連隊)が侵攻してきたが、レンスター軍(歩兵3個連隊)が独力で撃破。

1649年末
 イギリス植民地となっていたグアイラとムバラカジュを占拠。

1650年初め
 この頃、原因は不明だが周りのデンマーク植民地が次々とイギリス植民地に鞍替え。
 イギリス領になったそれらの州を堂々とアイルランド軍が占拠していく。

1650年7月
 ポルトガル軍がアイルランド島コノートに上陸。
 こちらが反撃する前に、レンスターの国王直属の軍勢が即座に援軍に向かってポルトガル軍を海に叩き落としてくれた。

 この頃から南米にイギリス軍が数個連隊単位で出現し対応に追われる。
 植民地を取ったり取られたりの状況である。
 
1650年10月
 南米パラナがデンマーク植民地(反乱軍支配下)から、こちらに離反。

1650年10月
 カスティーリャ軍がレンスターに上陸してきたがレンスター軍が撃退。

1651年2月
 色々とあったが、南米を荒らし回っていた反乱軍の殲滅に成功。

1651年3月
 カスティーリャ軍がまたレンスターに攻め込んできたが、レンスター軍が撃退。

1651年5月
 今度はポルトガル軍がレンスターに攻め込んできたが、またもやレンスター軍の活躍で撃退。

1652年
 南米植民地で次々海上から投入されるカスティーリャ軍と激戦。
 忙しくて詳しくは覚えていないがカスティーリャ軍11個連隊、イギリス軍4個連隊ほどは殲滅した筈。
 3個連隊ほどで逐次南米戦線に投入されてくる敵軍を、こちらの国王ミレーダク4世率いる騎兵5個連隊を機動させて各個撃破し続けるという展開だった。

1653年1月
 ポルトガル軍がレンスターに攻め込んできたが、またレンスター王国軍が撃退。
 南米戦線でかかりっきりになっていたので、こちらが気がつかないうちに他にも撃退しているかもしれない。

1653年3月
 敵同盟の盟主カスティーリャから示された「痛み分け」を受けて、戦争を終結させることに。
 しかし敵の南米植民地を10個占領することが出来たので悪い取引では無い。
 実はこの勝利で支配プロヴィンスだけなら敵国イギリスと並んでしまった。
 本国の経済力と人口が違いすぎるので、まだイギリスの方が圧倒的に強いが。

 元々はアイルランドがディアマンティーナの安全を確保するだけのために開始された戦争が、南米全域を巻き込む大戦争に発展してしまった。
 この戦争でカスティーリャ及びイギリスは既に州になっているのを除く、全ての南米植民地をアイルランド軍に占領された。

 またこの戦争ではアイルランド国王ミレーダク4世が南米全域を股にかけて大活躍したのみならず、アイルランドの属国であるレンスター国王クリオムサン1世が3個連隊を率いて、アイルランドに上陸してくる敵軍を撃退し続けた。
 これほどの大活躍をしてくれるのであれば、レンスターの併合は取りやめにしようと思う。
 とりあえずしばらくは借金返済だ。
 
1653年11月
 南米南端のパタゴニア・オキシデンタルで反乱が起こり、近辺のカスティーリャ及びアイルランドの植民地を荒らしている。
 国王ミレーダク4世率いるラテン・カラコル騎兵3個連隊が迎撃したが、反乱軍のピメンテル第1歩兵隊(歩兵1個連隊)に撃退された。
 こちらは再編成して再び迎撃することに。

1654年2月
 南米南端のパタゴニア・オキシデンタルで国王率いる軍勢が反乱軍を撃破。
 しかし、ヨーロッパの国王なのに、こんな南米の橋の最果てを反乱鎮圧で駆け巡っているとは。

1655年10月
 南米リオデラプラタでデーン人の反乱が起こり、鎮圧を選んだがメッセージの2個連隊は登場しなかった。
 きっと内部崩壊したのだろう。
 前回の戦争で数多くの植民地を手に入れたが、元々はデンマークの植民地だったところが多く、そこは文化がデーン系でアイルランド系とは違う文化である。

1656年1月
 国王ミレーダク4世が南米ラプラタの地で崩御。
 南米の地を軍隊を率いて駆け巡り、数え切れない勝利を収めた王であった。

 次はEU3アイルランドでプレイその17 タールー4世の御代「英雄が生まれた日」


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